毒親関連の記事を読むと、このような疑問が浮かびませんか?
私も毒親と離れようか迷ったときに、検索しても体験談がほとんどなく、絶縁に踏み切ってもいいのか悩んでいました。

結論:後悔したのは、もっと早く離れたらよかったということ。
自分の道を選べるようになって、心に自信が芽生えます。
今回は、毒親と離れた当事者として、その後の暮らしや気づきについて、絶縁して7年の薬剤師がお話します。
私の体験したことがメインですので、こんな人もいるんだと少し気持ちをゆるめながら、布団の中でゆるりとお読みください。
また、毒親と離れたい・離れるか迷っている方の参考になれば幸いです。
毒親と離れた経緯

体調が悪くてカウンセリングを受けた
大学在学中から「親と接すると調子が悪くなる」とうっすら感じていました。
「もしかしたら両親は毒親?」と思いはじめます。

友達に話せる内容ではないけど、誰かに聞いて欲しい…
でも知識のない人に話すと更に傷ついてしまうかも。
そこでまず病院ではなく、カウンセリングで話をきいてもらおうと考えたのです。
しかし、親にカウンセリングを受けたいと言えば、絶対に反対されるとわかっていました。
なので、親元を離れられる国家試験合格後に、受けることにしました。
合格発表の翌日に、早速カウンセリングを探しました。

人見知りで緊張するから、対面でうまく話せるか不安だな。
サイトや口コミ調べて、次の3つの理由から、オンラインカウンセリングに決めたのです。
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オンラインカウンセリングでは、親子関係の相談数が多い公認心理師が対応してくれました。
たまたま住んでいる地域が同じだったので、親近感がわき、気軽に相談することができたのです。
また、秘密をしっかり守ってもらえるので、誰にも知られたくない気持ちを大切にできたことが安心につながりました。

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『まずは誰かに聞いてほしい』という方にとって、やさしく一歩を踏み出せるきっかけになればと思います。
不調の原因は、解離性障害だった
体調が悪くなった経緯を話していくうちに、小学5年のときに一度だけ、発作があり緊急搬送されたことを思い出しました。
そのときは、小児てんかんだと診断され、医大に3年ほど通いました。
でも通院中の検査で、一度もてんかんの症状がなかったのです。
それを聞いて先生は「解離性障害の可能性が高いですね」と。

解離性障害とは、心がとても強いストレスに耐えきれなくなったときに、意識や記憶がバラバラに切り離されてしまう状態のことです。
人によっては「記憶が抜け落ちる」とか「体験をどこか遠くから見てる感じになる」ことがあります。
確かに昔からぼーっとしていることが多く、テレビを見ていても意識が遠のく感覚がありました。
母親に突然「大丈夫?」と言われることが多く、ぼーっとすることはいけないんだと罪悪感がありました。

なんだ、私のぼんやりは性格ではなく、症状なんだ
いつも物覚えが遅くて叱られていたのは、性格じゃなかったと安心した記憶があります。
先生にも「よくこの状態で国家試験が受けられましたね」と言われました。
自分でも本当に奇跡だと思っています。
毒親との絶縁を決意

カウンセリング後に解離性障害の原因について考えました。
強いストレスといえば、両親以外に考えられません。
まっさきに浮かんだことは「こんなことぐらいで障害者になるなんて情けない」でした。
当時は、毒親とうすうす気づきながらも「しつけが厳しい親」という思いが強かったので、受け入れられない自分は弱いと思っていたのです。
また、両親のせいで障害になったことは最後まで受け入れられませんでした。
だって後天的に、しかも毒親のせいで障害者になるんですよ?
自分はなんて惨めなんだ、と何度も責めました。

それでもこれ以上、私の人生を奪われてはいけない。
そして私は、ストレスの原因である両親と連絡を取らない・離れることを決めたのです。
毒親と離れてわかった3つのこと

窮屈だと感じたらすぐに離れたらよかった
前章でもお話したとおり、毒親のことを「しつけの厳しい親」くらいにしか思っていませんでした。
でも、たくさんの医学書や書籍を読んでいくうちに、親との関係が健全なら、窮屈だと感じないんだと知ったのです。

以前、毒父からこんなことを聞いたことがありました。

母(毒祖母)のことが苦手なのに、機嫌をとってしまう自分がいやだ。
いくら俺が機嫌をとっても振り向くことはないとわかっているのに。
離れたいのに離れられない、なにかするたびに毒親の顔がちらつく…
毒父も私のように親との窮屈な関係に苦しんでいたのかもしれません。
毒親と離れないと、とわかっていても、なかなか行動にうつせない方もたくさんいるでしょう。
しかし、今受けている傷が将来、悪影響を及ぼす可能性があります。
DVや虐待みたいに強いストレスが長く続くと、脳は適応しようとして形が変化します。
でも「一度変わったらもう終わり」ではなくて、癒しや安心が脳を回復させる力になるのです。
もし、毒親のことで悩んでいるなら第三者に話してみることをおすすめします。
毒親は変わらないことを受け入れたかった
毒親は絶対に変わりません。心を入れ替えることもありません。
私たち子どもには一番辛いことですが事実です。
この事実にもっと早く気づいて逃げればよかったです。
そうすれば傷も深くならずに済んだでしょう。
変わらないと頭ではわかっていても、心ではこんなことを思っていました。
連絡を絶ったあとも、何度手紙を書こうと思ったかわかりません。
最後に毒父から夫へ電話が着たのは、連絡を絶って3年後でしたが

いい加減、ほづみを俺達のところへ返せ。
さもなくばどうなるかわかってんだろうな?

私はあなたたちの所有物でなく、一人の大人の女性です。
私には、私の人生を決める権利があります。
こう伝えてもらいましたが「ほづみを返せ」の一点張り。
なぜ私が連絡を絶ったのかも理解していなかったのです。
このときにもうこの人たちはダメだと感じ、夫も着信拒否をして終わりにしました。
なんて考えても毒親は変わりません。
あなたの人生を無駄にする前にすぐにでも離れるべきです。
分籍を後回しにしなければよかった
入籍する以前に、実家と戸籍を分け、自分ひとりで新しい戸籍を作る手続きをしています。
分籍をすることは、毒親との関係に区切りつけられたとても良い方法でした。
毒親の語源となった「毒になる親」のなかで、親と決別するために手紙を書こうという章があります。
でも私には、手紙を書くより戸籍を分ける方が何倍も効果がありました。

戸籍から親の名前が離れることで、
毒親の影響を受けてきた私にとって、これが心の自立の大きな一歩になりました。
役所に行くのも面倒だし、一度分籍すると元の戸籍には戻れないと聞いて不安で放ったらかしにしていました。
でももっと早くこの開放感を味わいたかったと後悔しています。
申請理由を聞かれることもないので、もし分籍を考えている方は役所に相談してみるといいですよ。
ようやく自分の人生がスタートした!と実感できますから。
毒親と離れた当事者のその後

毒親からの接触がなくなり、心が落ち着いて過ごせるようになった
夫への電話を最後に、絶縁状態になりました。
支援措置(住民票の閲覧制限)おかげか住所も知られていないようです。
毒親が知っている住所から2回引っ越しました。
毎年、支援措置の更新をしているので安心して生活ができています。
自分の気持ちに気づけるようになり、少しずつ自己肯定感が高まってきた
毒親と関係があるときは何かにつけて口出しされていて、自分で決めることができませんでした。
でも、離れたあとから少しずつ自分の意志や気持ちがわくようになったのです。
気持ちに気づけるようになると、やりたいことをやってみようと、行動ができるように。
そして、行動していくうちに自己肯定感が上がっていきました。

私の場合は読書です。
小さな頃から本を読むことや本屋に行くことが好きでした。
小説や歴史マンガなど色々なジャンルを読んでいて、特に自伝は勇気を与えてくれました。
でも、本を読んでいると怒られていたので、そのうち読まなくなったのです。

お前は本ばかり読んでいるから、目が悪くて根暗なんだよ。
もっと外へ出て運動しろ。
言われたことを思い出しながらも、カウンセリングを受けてから毒親関連の本を読み漁り始めました。

私の人生を取り戻すために、まずは知識武装しないと!
そのうち、心理学やメンタルヘルス以外にも、子どもの頃のように小説やエッセイまで読めるように。
本を読んだ時間を記録したり、読書ノートにまとめて積み重ねるうちに、自分でもできることがあると思えるようになったのです。
あなたは好きなことがありますか?
思い浮かばないなら、幼少期に自然とやっていたことを思い出してみてはどうでしょうか。
昔やっていたことに「やりたい」が眠っているかもしれません。
積み重ねていくうちに自分のことが理解でき、そのままでいいんだと認められるようになるでしょう。
自分の考えを大切にして、物事を自分で判断できるようになった
私の場合、毒母と同じ意見ではないと

そんなこと言うなんてほづみちゃんじゃない
私の意見は否定され、あからさまに不機嫌になって無視されていました。
無視されるのが怖かった私は、毒母ならどう考えるか?と頭を巡らせながら会話していたのです。
毒母の意見に合わせていたので、いつのまにか自分で判断ができなくなっていました。
いつでも、なんでも、毒母にどう判断するか聞いていたのです。
毒親と離れて、「自分のことは自分で決めていいんだ」と思えるように。
決められるようになると、自分自身の人生を歩んでいる感覚があって毎日がとても楽しいです。
自分で決めきれない人は一度、親との関係が健全か考えてみると良いと思います。
まとめ:毒親からの接触はなく穏やかに暮らせている
毒親と離れた経緯と離れてわかったこと、その後の暮らしを当事者の視点からお話しました。
毒親と離れてみてわかったことは以下の3つです。
- 毒親かもと感じたときにすぐ距離をとればよかった
- 毒親は変わらないことを受け入れたらよかった
- もっと早くに戸籍を分ければよかった
一番悔やんでいることは、もっと早いうちに誰かに話せていたら…ということです。
私のように、すでに体に影響が出ている方は早めに相談してくださいね。
相談するときの注意点は、なるべく経験や知識のある人に話すことです。
「親のことを悪く言うなんて」という的はずれな人も、少なからずいますから。
もし、話せる相手がいないなら、オンラインカウンセリング:Kimochi がおすすめです。
おすすめする理由が3つあります。
私はこの3つめの「チャットで相談できる」という点が気に入っています。
チャットなら緊張せずに相談できるからです。
眠れずに布団でスマホをしているときも、寂しい気持ちをそのまま話すことができました。
気持ちを吐き出すだけでも、整理がつけられてラクになりますよ。
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毒親と離れた当事者として、その後の暮らしでは、しっかり自分の人生を歩んでいると実感できています。
毒親から離れてよかったことは数え切れないほどありますが、人生を歩んでいる感覚は、主に3つの変化からでしょう。
特に「自分で物事を決められるようになったこと」からの効果が大きいです。
私の体験が、これから毒親との距離を考えている方にとって少しでも力になれば嬉しいです。
よい夢が見られますように。

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