
疲れすぎてもう何もできないよ…
毎日の帰宅後、こんな状態に悩んでいませんか?
- 人の顔色ばかりうかがってクタクタ
- 一人になったのに、なぜか休まらない
- すぐ横になって、何も手につかない
私もずっと、「どうしてこんなに疲れるの?」と自分を責め続けてきました。
でも、HSPという特性を知って、“疲れすぎる自分”にも理由があるとわかりました。
そして少しずつ生きやすくなったんです。
この記事では、毒親育ちのHSP薬剤師が続けている疲れ対策の3つの習慣をご紹介します。
読むことで、あなたの毎日に「これでよかったんだ」と思える時間が増えていくはずです。

疲れやすさ=弱さではありません。
繊細な感受性をもつ“特徴”なのです。
HSPの私は、帰宅後すぐには動けない

“何もしないのに疲れる”が続いた
始まりは休学を終えて復帰した頃。
毎日、大学から帰ってくると、布団に倒れこむ日々が続いていました。
誰かと話しただけ、人ごみを歩いただけで、心も体もエネルギーが空っぽになる感覚。
自分でも「何でこんなに疲れるの?」とわからず、戸惑っていました。

試験のために勉強をしなきゃ。
こんな体調で講義に出られるのかな?
考えるだけでしんどくて、明日が来なければいいのにと感じていたのです。
この状態が3年以上続いたのでした。
「普通の人」みたいに過ごせないことへの劣等感
周りは講義のあとに遊びやバイトに行ったりしていました。
それに比べて私は、帰ってきたらもう何もできない。洗い物も着替えもできない。
友人に話してもわかってもらえず、唯一の味方だった毒親に相談すると、
「お前が運動をしないから体力がないんだ」
そういわれて、毎日、重い体をひきずって散歩するようにしました。

こんなこともできないなんて私、どうかしてる
自分を責める気持ちが大きくなっていきました。
「甘えなのかな?」と責めていた頃の自分
毒親を信じ切っていたこともあり、

できないのは私が運動嫌いだからだ。
嫌なものから逃げたいだけだ。
本気でそう考えていました。
帰省中にきつくて洗面所で倒れることがありました。
でも、毒親たちはテレビを観ながらご飯を食べていたので

私が変なんだ、しっかりしなきゃ
心の中で繰り返していました。
実際は、体も頭も悲鳴をあげていたんです。
大学卒業後、HSP・認知行動療法を勉強するようになったことが転機でした。
自分の“感じ方”に名前があることを初めて知ったからです。
HSPの特性は「疲れすぎる原因」を説明してくれる

疲れやすさの正体はHSPだった
「どうしてこんなに疲れるの?」と悩んでいた私にとって、HSPという言葉は救いでした。
疲れやすさには、ちゃんと理由があったと気づけたんです。
私の学生時代は通学しただけ、ただ話しただけでぐったり。これが苦痛だったんです。
「ただ人と関わっただけ」で疲れ果てる自分のことを、ずっと情けなく感じていました。
他の人は平気に見えるのに、私は動けない。
でも、のちに、HSPという言葉を知ります。
自分の疲れにも“名前”があるとわかったとき、ようやくホッとできたのを覚えています。

「疲れすぎる自分」にはちゃんと理由があったんだ。
それだけで、自分を責める気持ちはぐっと軽くなりました。
人よりも多くの刺激を処理している
HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)は、脳が外からの刺激を深く処理します。
多くの刺激を処理することで、音・におい・感情などに過剰に反応してしまいます。
普通の1日でも、脳がフル稼働していて、人一倍エネルギーを消耗しているのです。
周囲の人の表情や声のトーンに過剰に反応してしまうこともあります。

あの人の機嫌が悪いのは私のせい?
心がざわついてしまい、必要以上に気をつかってしまうことはありませんか?
相手の感情を敏感に察知してしまうために、心が疲れてしまうのです。
特性を理解すると、自分を責める時間が減った
日中の私は、常に“ちゃんとしなきゃ”モード。
外ではまじめな人と思われても、家に帰る頃には電池切れ。
ご飯が食べられない、着替えができない、お風呂に入れない…
学生時代、一番苦労したのはお風呂に入れないことでした。
ただでさえ体力を使う入浴は電池切れの人間にはかなりハードルが高いです。
当時彼氏だった夫に手伝ってもらいながら毎日やっとの思いで入浴していました。
人と会う機会も多かったし、気持ち悪いしで無理やり入っていましたね。
このように気づけば、自分を演じることでしか社会に馴染めていなかったのでした。
でも、「疲れやすい≠悪」と思えたことで、
ムリに自分を作る必要がなくなりました。
HSPの疲れは「回復前提」で考えていい

「疲れやすい」は前提にしてOK
私は「疲れるのが当たり前」と考えるようになってから、日々が驚くほどラクになりました。
無理に普通を装うより、あらかじめ休むほうがうまくいくんです。
以前は「体力をつければ大丈夫」「甘えるな」と思い込んでいました。
でも、人と同じスピードで動こうとすると、いつもどこかで電池切れ。
HSPは気を張りやすく、周囲への感度も高いので、心身の電池が減るのが早いんです。
だからこそ、疲れる前提で予定を組むことが必要です。
余白を多めにとる。それだけで、疲れが蓄積しにくくなりました。
無理をするとあとがキツいのが特徴
人付き合いのあとに「一人の時間がほしい」と感じるのは、逃げではなくリセットする時間。
私にとっては、これがいちばんのエネルギー回復法です。
これに気づいてからは、無理に予定を詰めず、意識的に“静かな時間”をつくるようにしています。

なかなか時間がとれないという人もいますよね。
そんな方には、イヤホンでお気に入りの音楽を1曲聞いてみることがおすすめです。
その1曲を聞いている間だけは自分だけの世界に浸れますよ。
私は仕事↔プライベートの切り替えも苦手なのでこの方法で気分を変えています。
予定に「余白」をつくるようになってからの変化
以前は週に何度も予定を入れては、ぐったりして寝込む…という悪循環でした。
今は
・出かけたら次の日は休むことを意識!
・無理に予定のバランスを取らない
・余白を楽しむ
と決めています。
照明を落として、静かに過ごすだけでも、かなり回復できるようになりました。
私は、予定を詰め込み、動けなくなり自己嫌悪…というサイクルを繰り返していました。
でも今は「出かけた翌日は何もしない日」と決めています。
また、帰宅後すぐに照明を豆電球にして静かな時間を持つようにもしています。
これだけでも“回復する時間”が自然に生まれ、気持ちが安定してきました。
私が実際に取り入れてよかったと感じたことは、以下の3つです。
これだけで、“今日の疲れ”を引きずらずに過ごせるようになりました。
「先に自分を守る」がコツ
「私は疲れやすいから、あらかじめ休む」と決めることは、怠けではありません。
それは、自分を大切にするための準備です。
HSPは「疲れる自分」を否定せずに、あらかじめ守ってあげる工夫が大切。
それだけで、毎日の過ごしやすさがまったく変わります。
私が自分の疲れと向き合えるようになった3つの変化

1.自己否定しなくなった
HSPとしての自分を受け入れてからは、疲れとの付き合い方が大きく変わりました。
感じやすい・気づきやすいという特性は、社会に出るとしんどさにもつながりやすいですよね。
私は薬剤師として、患者さんの話を聞く機会が多いです。
相手の痛みや苦しみ、つらかった経験を聞くと、こちらまで痛くなるような気がしてくるのです。

人の痛みなのに自分が疲れるなんて、おかしいよね。
以前の私は、そう思っていました。
でも特性を理解した今は、こんな特性だから疲れるのも無理はないなと思います。
疲れるのは感じる力が強い証拠で、それは悪いことじゃないとわかったのです。
「疲れる自分」は欠点ではなく“役割”のようなもの。
痛みがわかる人間として、大事にしていきたい特性だと感じています。
会社でも、接客でも、家庭でも──
誰かの気持ちに寄り添おうとすればするほど、HSPは自分の体力や心がすり減りやすい。
それって“弱さ”じゃなくて、“感受性”の力なんですよね。
2.帰宅後は“充電タイム”と決めた

帰宅後は“ゼロから充電する時間”。
回復を最優先にして、帰ったらなるべく静かに過ごします。
私が一番効果を感じるのは、アイマスクをして5分だけ横になることでした。
そのまま寝落ちしてしまうこともあります。
でも、とてもリラックスできるのです。
人は視覚からの情報が9割だそうですよ。
情報量の多いHSPにはアイマスクが必須だと感じています。
3.疲れはサインと考えるようになった
HSPは「何が自分を疲れさせたのか?」を見つけることが不可欠です。
この手がかりを「その日の疲労」から振り返るようになりました。

今日は特に疲れたな…どこに無理があったんだろう?
と手がかりを考えることで、振り返るクセがつくのです。
疲れを否定せず、向き合うことで、私はようやく「そのままの自分」に近づけた気がします。
「頑張る」より「回復する」ことを優先。
帰宅後は、SNSを見たり、気を張って話すことも避けます。
そのかわり、手帳を書いたり、音楽を聞いて自分だけの世界に戻るようにしています。
たとえるなら、“心の呼吸”をするような時間です。
疲れとの向き合い方が、私を変えた

“疲れたからダメ”ではなく、
“疲れたから休もう”と考えられるようになりました。
そうすることで私はようやく、自分の本当の気持ちを知ることができた気がします。
今では、「疲れるのは悪いことじゃない」と思えます。
それどころか、その日の疲れ具合で、自分の心が何に敏感だったのかがわかるようになったのです。
疲れも、自分を知るヒントでした。
まとめ|「疲れやすい私」は、治すものじゃなかった

HSPの私が、動けない日々を過ごしながら気づいたことがあります。
それは、「ちゃんと休むこと」は、ちゃんと生きることの一部だということ。
「疲れやすい私」は弱いわけではなくて、感じやすさを持っているだけなのです。
疲れやすいと、物事がうまく進まなくて、いやになりますよね。
でも、だからこそ他人の不自由さを気づかえる、そのやさしさがあなたの力なのです。
今のあなたの疲れも、がんばってきた証です。
今日もお疲れ様でした。
心とからだが、少しでもゆるむ夜になりますように。

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