毒親対策ブログにお越しいただきありがとうございます。運営者の穂泉由依(ほずみゆい)です。
DV傾向のある父とネグレクト気味の母のもとで育ち毒親サバイバーとして生きる一方で、薬剤師として医療の知識も活かしています。
このブログでは、毒親対策に役立つ情報をお届けするとともに私自身の体験や考え方を共有しています。
まずはブログのテーマと私の自己紹介を簡単にお話させていただきますね。
毒親対策ブログとは
当ブログのテーマと立ち上げたきっかけについてお話します。
テーマ
このブログのテーマは毒親との関係で悩んでいる方のストレスを解消することです。
・うちの親ってちょっと変かも?と感じるときがある
・親からの束縛が激しくて生活しづらい
・親との関係がストレスで頭痛や倦怠感などの不調を抱えがち
毒親サバイバーとしての経験や薬剤師としての知識をもとに同じ悩みを抱える方々のお役に立てればと思っています。
このブログでは、次のような内容をお届けしています。
・毒親育ちの特徴や性質
・毒親への対処法
・慢性的な不調の根本的な改善方法
家族に違和感のある方や毒親の影響で不調を感じている方が一日でも早く自分の人生を歩めるための情報を発信しています。
ブログを始めたきっかけ
当時、両親との関係にストレスを感じていた私はたびたび友人たちに家族や体調の話をきいてもらっていました。
何度も相談するうちに友人たちとの会話のなかでよく出る言葉に気付いたのです。

そんな親ってほんとにいるの?
親を悪くいうのは良くないと罪悪感がありましたが、話していくうちに家族との関係がおかしいと感じ始めました。
それからいろんなサイトで調べていくうちに、私の両親は毒親なんだと知るわけです。

「あなたのためだと意見をおしつける」
まさにうちの親のことだわ!
ですが当時は毒親に関する書籍が少なかったので体験談や特徴に関するものが多く、対処する方法がみつからなかったのです。
毒親というと甘えのようで嫌だったのですが精神医学書を100冊ほど読み、この頃に自分の中で毒親の本質が明確になった気がします。
それまでなんとなく感じていたからだの不調も毒親からのストレスが原因だとわかりました。

このままじゃ身体も人生もだめになる。家族から離れよう。
縁切りの準備を始めましたがとにかく情報が少なく、毒親から完全に離れるまで10年以上かかったのでした。
こんな経験から毒親が原因で苦しんでいる人に毒親の本質や対処方法に関する情報を届けたくて「毒親対策ブログ」を作ってみました。
サバイバー体験記
「家族だから大切に思わなきゃ」
「親なんだから、感謝しないと」
そうやって、ずっと自分の感情にフタをしていませんか?
私は“親だから”という理由で、自分を傷つけてくる人と一緒に暮らしていました。
そんな私がどうやって自分の人生を取り戻していったか――その記録です。
誰かの希望になれたらと思い、書き残します。
そんな思いを抱えて育った方には共感していただける内容になっていると思います。
また、ネガティブな内容になっておりますので持病のある方は体調が悪くなったら読むのをやめてくださいね。
家族構成
父と母、私と弟の四人家族です。
私は春先の日曜日に予定より一ヶ月も早く生まれました。心臓病のおまけつきで。
5歳で手術しましたが、医師から成人式には出られないだろうと言われていました。
今こうしてブログが書けているのは主治医のおかげです。
初孫の私が大病をもって生まれてきたということで父や家族が何かあるたびに蒸し返して母を責め、その姿をみて育ちました。
心臓病や手術の話題はタブーだったのでなぜ責められるかわからず、私が生まれたから母が悪く言われるのだと悲しかったです。
手術費は国負担だったのですがなぜかその費用を成人後に父に払うことが大学進学時の約束になっていました。

手術費用なんて私に払えるのかな。でも家は出たいしな。。。
何も知らない私は受け入れるしかなかったのでした。
実家暮らし時代(暴力と否定が日常だった)
小さな頃から牛乳をこぼしたら殴られるそんな厳しい家でした。
父は納得がいかないとしつけだと言って車に連れ込み暴力を振るいました。
そんな理不尽な父は勉強より運動ができる方が偉いという教育方針で、足が早く球技も得意な弟は有能だと自慢していました。
心臓が悪く体育の授業も見学の私は無能扱いで、お前は運動しないから体が弱いんだと近所を毎日1時間走らされていたのです。
体育ができないのに走らせるなんてめちゃくちゃな理論ですが、

お父さんの言っていることがわからない私の頭が悪いんだわ。
親を悪く思いたくない毒親サバイバーあるあるな思考だと思います。
この呪縛から離れるのに何年もかかりました。。。
助けてくれる大人がいてくれたらよかったのですが、親がクレーマー気質なのでまともな大人は寄りつきません。
中学時代に一度だけ顔に大きなあざができたまま登校。
これで誰かに気づいてもらえると思いましたが友人や周りの大人、学校の先生でさえも何も聞きませんでした。

私は助けられる価値のない人間なんだ
自分自身が信用できなくなり、何をやるにも「私がだめだからだ」と押し殺すようになりました。
思春期になると性的虐待も増えました。
父は子どもを所有物のように扱っていたので、「仲良し父娘ごっこ」をするために中学校二年生まで勝手に風呂に入ってきていました。
胸やお尻を触られることもしょっちゅうでした。
しかもそれを知人や塾の先生に自慢げに語るのです。
私は恥ずかしくてたまらなく、母に泣きながら懇願しましたが、「俺の体液からできたお前は俺のものだ」といって触ることはやめてもらえませんでした。
また、両親は温泉が趣味だったのですが、私に生理がくると一緒に温泉に行けないだろと父親に怒られていましたね。
生理痛で寝込んでいると、元気に運動している女性もいるのにどうしてお前はそんなにぐうたらしているんだと蹴られることも。
自分ではどうしようもないものなので(中高は安定もしないので)毎月かなり不安でしたね。
高校・大学受験期(努力しても潰される環境)
高校は県内でも有数の進学校の特別クラスへ行ったので、毎日たくさんの課題がありました。
3日の連休でもなぜか1週間分の課題が出る学校です。
同級生が必死で課題に励むなか、私は毎日深夜1時まで夕飯という名の父親の飲みにつきあわされていました。
父の接待をしないで勉強していると、ペットボトルを投げつけて、話をきけと怒鳴られるからです。
そんななか、突然父が祖母が行きたがっていた薬学部へ行け、と言い出したのです。
私は英語が得意だったので外語大に行くと決めていたのでびっくり。
数学はいいとして、理系の科目は興味もないし、正直苦手でした。
後で母から聞いたのですがこの薬学部に決められた理由が、頭の良い同級生が薬学部に進学するときき、張り合うためだったのです。
このあたりから私の人生が狂っていきます。
二年の進路選択で泣く泣く理系を選び、特別クラスから外れます。
まあ苦手だから仕方ないか、と思っていたのですが担任から「文系を選択していたら特別クラスだったのになぜ?」と言われました。

お、親が言うからです。。。。
なんて言えず笑ってごまかしました。。。本当に悔しかったです。
大学受験先に県外遠征した際は、朝まで酒飲みに付き合わされ寝不足のまま受験会場へ。
当然不合格でしたが、不合格だからという理由でなぜか父が泣きながら殴る。蹴る。
卒業後は予備校に通うことになります。
予備校時代に学費を稼げと言われ、勉強のさなか朝4時起きで新聞配り、休日にはDM配達をさせられました。
一割は小遣いで残りは予備校費にすると言われていたが大学進学後まで母が返済していたので聞くと、殆どが父親の飲み代に消えていたようです。
そして私の中で一番の事件がこれです。
浪人時代のセンター試験前夜、父親が母親に包丁を突きつける夢で目が冷め、キッチンへ行くと母親が泣きながら座り込んでいて変な夢を見て起きたというと、あんた見てたの?と言われた。
怖くて試験どころじゃありませんでした。
こんな話、誰にも話せませんでした。
でも、あなたならわかってくれるかもしれませんね。
一人暮らし時代(自立しようとしても追い詰められる)
父は仕事を部下に丸投げしてしょっちゅうゴルフに行っていたので、大学入学後すぐにクビになりました。社宅だったので家もなくなったようです。
5月の帰省で荷物を送るときに住所が変わったとその時に初めて無職になったことを知らされます。
帰省までの二ヶ月間、毎日電話をしていたのにそのことに一切触れずに会話していたことが怖いですよね。
それなのに、お前はリストラ直後の家を知らないから弟のほうがかわいそうだと言われていました。
男尊女卑もここまでくると笑えてきますよね。
実家から離れて解毒されてきたおかげか大学寮のエアコンの匂いで父親に殴られるシーンがフラッシュバックし始めて母に相談しました。

お父さんのことを考えると息ができなくなる。離婚してほしい。
体調やメンタル面の不調を精一杯母親に伝えましたが、「離婚は無理」と一言だけでガチャ切りされました。
その後、母親に「あなたまで手をやかせないで」といわれ、大事な家族のことで体調がわるくなる私が弱いんだと考えました。
いまもこのことを思い出すと胸が苦しくなります。
でも、もしこれを読んでいるあなたが同じような苦しさを知っているなら、少しでも共有できたらと思っています。
あなたの声も、ここに
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
ここまでの話は、ほんの一部です。
でも、同じように苦しんできた誰かが「自分だけじゃない」と思えるきっかけになればと思っています。
「わたしも同じだった」と思うことがあれば、ぜひコメントやメッセージで教えてください。
あなたの声を、ここで待っています。