毒親育ちでHSPの人は、頭ではわかっていても「行動」や「感情の扱い」が難しいもの。
苦しさから抜け出すには、知識だけでなく日常に落とし込める実践方法が必要です。
私は薬剤師として医療的な知識を持ちながら、
自身の経験をもとに認知行動療法を取り入れてきました。
また、猫との暮らしを通じて「安心できる居場所」の感覚を取り戻すことができました。
この記事では、
心を守るために実際に取り組んだ思考の整え方と安心できる居場所をつくる過程を紹介します。
回復の道筋が見えることで、「私にもできるかもしれない」という希望が生まれます。
その第一歩を一緒に確認しましょう。

自分を大切にする工夫は必ずできる。
回復のカギは「自分と仲直り」
少しずつ、自分を助ける方法を探し始めた

自己否定のループを止めたくて試したこと
毒親関連や心理学の本を100冊以上読みました。
脳科学の専門書でも2年間勉強をしました。
当時の私は、毎日毎分、自分を監視している父親を心のなかに飼っていました。

遊びに行きたいけど親より友達を優先してはだめだよね。
こんな風に毒親が言いそうなことをいつも考えていました。
「なんとかしなきゃ」という思いで、脳の働きについて本を読むようになったのです。
薬剤師の資格があったので、医療的な信頼性にもこだわって情報を選んでいました。
でも、知識を詰め込んでも心はすぐには軽くなりませんでした。
本で出会った認知行動療法との接点
やがて出会ったのが、認知行動療法(CBT)でした。
「自動思考」「スキーマ」「反証」──
そういった概念は、私の思考のクセを客観的に見つめなおす助けになったのです。

自分をだめだと思うことは性格ではなくてクセなんだ。
クセなら直せる可能性があるよね。
薬剤師としての知識と共通していることが多く、信頼して実践することができました。
そのときから認知行動療法用のノートを用意して、落ち込むたびに書き込んだわけです。
日常の中で実践できた「思考の書き換え」
たとえば「迷惑をかけてしまった」と思ったら「証拠はある?」と問い直してみる。
「嫌われた」と落ち込む前に、
「本当かな?“私の思い込み”の可能性はない?」と紙に書いてみる。
「その後からそっけなくなった気がする。」
「同じことをするとお母さんは怒っていたし。」
意外と思い込みや刷り込みのことが多く、証拠が薄いことに気づきました。
思い込みだと自覚することで、心に少しずつ余白ができるようになったのです。
猫との暮らしが、私の「居場所」になった

保護猫との出会いは、大学時代の大きな転機だった
大学時代に猫を保護したことが、私のなかで大きな転機となりました。
それまで犬派だった私が、まさか猫と暮らすなんて思ってもみませんでした。
あまりの疲労で休学を考えていた小雨の降る夜。
偶然、1匹の野良猫と出会ったのです。

こんなところにいるなんてお家がないのかな?
声をかけると「にぃ」と鳴きながらついてきたので思わず抱き上げました。
その猫は弱々しくて、どこか自分に似ていたから。

一生懸命に生きているこの子の居場所をつくろう
その子を家に迎えたことが、私の「居場所づくり」の始まりなのでした。
猫を通して見えてきた私の境界線

猫と暮らし始めてから人との関わり方に変化が出てきました。
言われたことをすべて受け入れるのではなく、
嫌なものを苦手だと表現できることが増えたのです。
猫は、甘えたいときに甘え、嫌なときはぷいっとどこかへ行ってしまいます。
それでも猫はかわいがられますよね。
その姿に、「それでいいんだ」と思えたのです。
猫との距離感が、人との距離のヒントになりました。
やさしさを受け取る練習ができるようになった

少しずつ、他人のやさしさを受け取れるようになっていきました。
猫は何も言わず、ただそばにいてくれます。
その静かな存在が、「あなたはそのままで大丈夫」と教えてくれているようでした。
少しずつ、他人のやさしさや、自分へのいたわりを受け取る練習ができるようになったのでした。
今、毒親育ちのHSPだった私が思うこと

親を責めるでもなく、自分を責めるでもなく
「親が悪かった」と怒ることも、「自分が弱い」と責めることも、今はしていません。
親に対していくら怒っても何も変わらないからです。
実家に連れ戻されるたびに意を決して家出していたのに親には全く響きませんでした。
それどころか未だに親は、なぜ私が出ていったかわかっていないようです。
かといって必要な経験だったと無理やりポジティブに思い込むこともやめました。
毒親なんて百害あって一利なしですから。
意味なんて持たせなくていい。
つらいものはつらいでいい。
ただ、あの頃の自分を理解してあげることを大切にしています。
「わたしを守れるのは、わたし」だと気づいた

自分がまっさきに自分を守ってやるしかない。
そう気づきました。
毒親育ちで周りを心から信頼しにくいという理由もあります。
そして、自分とは死ぬまでずっと一緒にいるからです。
毒親に悩み、離れるまで一緒に戦ってくれた夫でも意見が食い違うことがあるのです。

一緒に戦ったはずなのに、どうしてわかってくれないの
私が受けた暴力や暴言は私だけの経験。
私の感情は私にしかわからない。
他人を変えるのではなく、自身で気づき、守ること。
それが、回復への鍵だったわけです。
あなたにも、やさしさは届く
今も苦しんでいるあなたへ。
「我慢しなくてもいい」「守られていい」
そんな生き方は、確かに存在します。
私は、毒親から抜け出すのに10年かかってしまいました。
それでも今、大好きな猫と暮らせてとても幸せです。
あなたも、そんな生き方を選んでいいのです。
もっと自由になっていい。
そしてそれは、
あなたの中にも、もう芽生えはじめているかもしれません。
まとめ:自分を大切にすることは、わがままじゃない

毒親育ちでHSPの私は、「いい子」でいることで自分を守ってきました。
でも本当の安心は、「がんばらない自分」も受け入れられる場所にありました。
認知行動療法や、猫との暮らし──それらはどれも、自分と仲直りするための方法だったと思います。
あなたにも、あなた自身を癒せる力があります。
どうか「もう我慢しない」と心の中でそっとつぶやいてみてください。
それが、回復の第一歩になります。

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コメントやお問い合わせフォームから、あなたの声を聞かせてください。
ほんの一言でも、「わたしもそうだった」で大丈夫です。
誰かに届くだけで、心が少し軽くなることがあります。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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