それは、HSPという気質と、毒親育ちという家庭環境が重なった結果かもしれません。
この2要素により、「なんとなくつらい」が慢性的になっている人は少なくありません。
私は薬剤師として医療知識を持ちながら、
自身も毒親育ちであり、HSP気質の持ち主です。
その経験から、心の限界を感じたきっかけと、最初の気づきを正直にお伝えします。
本記事は、毒親育ちHSPだった私が「生きづらさの正体」に気づくまでの経験談です。
「自分も同じかもしれない」と感じたとき、
孤独感が少しだけ軽くなり、次の一歩が見えてくるはずです。
気づくことは、回復の第一歩です。
「つらい」と感じていい。その感覚は、間違っていません。
毒親育ちでHSPだった私は、ずっと「生きづらさ」を抱えていた
子ども時代の記憶──「いい子でいなさい」と言われ続けた私
小さいころから周りに、「いい子だね」「手がかからない子」と言われて育ちました。
親の言うことには逆らわず、感情もあまり表に出さなかったからだと思います。
けれど、親には「気が利かない」「空気が読めない」とよく言われました。
それは、常に人の顔色をうかがって育った子どもが言われる言葉ではありませんでした。
私の中にはずっと「自分はダメな子なんだ」という思いが積み重なっていきました。
普通にしていられるって、どういうこと?
まわりの人たちは、学校でも職場でも、自然体に見えました。
けれど私は、日常生活を送るだけでもどこかぎこちなく、疲れてしまう。
その「疲れやすさ」は、大学に入ってからはっきり感じるようになったのです。
授業や人付き合いなど、何をしてもエネルギーを消耗していました。
きつすぎて受験期でも21時には寝落ちてしまうくらいでした。
「みんなと同じようにしているのに、なんで私だけこんなにしんどいんだろう?」
そんなふうに感じながら過ごしていたのでした。
「自分がおかしいのかも」と思いながら過ぎていった20代
私の20代は、親からのプレッシャーに耐えながら国家試験に挑戦し、過ぎていきました。
就職はせず、勉強漬けの毎日でした。
父親は歩合制の営業職で成績が振るわないとお給料が出ません。
なので、私の学費や生活費はすべて奨学金から出していました。
その総額なんと1000万円。
この奨学金を一人で返さなきゃ!という焦りで、精神は限界を迎えていたのです。
「生きてるだけで疲れる」
それが日常になってしまっていました。
生きづらさの正体に気づいたのは、HSPと毒親を知ってからだった
HSPという言葉との出会い
インターネットでふと目にした「HSP(Highly Sensitive Person)」という言葉。
特徴を調べていくうちに、「これ、全部私のことだ」と思いました。
自分の不調が特性によるものだったことに気づけました。
また、名前がついたことで「私だけじゃないんだ」と少し安心できた気がしたのです。
「毒親育ち」という事実に気づいたのは大学卒業後
大学を卒業し、精神的にも肉体的にもボロボロになっていた私は、
ついにカウンセリングを受けることにしました。
不調が続き、とても話せる状態ではなかったのでオンラインカウンセリングを探しました。
お金もないので1週間のお試しコースを選んだのです。
そこで、初めて「毒親」という言葉を知ったのでした。
「私の家庭環境は、普通ではなかったのかもしれない」と思いました。
支配的な言動、無関心、否定──
「普通」だと思い込んでいたことが、実は心を傷つけていた原因だと分かったわけです。
当時の感情を言葉にしたとき、涙が出た
1週間のカウンセリング後に、ノートに気持ちを書いてみることにしました。
「怖かった」「苦しかった」「でも、誰にも言えなかった」
そう書いた瞬間、今まで自分が色々なことに耐え続けていたことに気づきました。
お父さんはいつも理不尽に怒ってくるから怖かった。
お母さんの愚痴聞きは苦しくなるからもういや。
でも、わかってもらえないから誰にも言えない。
初めて、自分の心が自分に聞いてもらえた気がしたのです。
まとめ:つらさの正体に気づけたことが、私の再スタートだった
「毒親」「HSP」──その2つの言葉が、私の過去と今をつないでくれました。
長年苦しんできた理由に名前がついたとき、私はやっと安心できました。
まずは「つらい」と思う自分を否定しないこと。
そこから少しずつ、自分を助ける道が見えてきます。
もし今、あなたも似た苦しさを感じているなら。
次回の記事では、私が実際にやってみた「心を守る方法」を具体的に紹介していきます。
コメント